2016年11月2日
Photo: UNU-EHS/ Sonja Ayeb-Karlsson
「締約国は、気候変動の悪影響(気象についての極端な事象及び緩やかに進行する事象を含む。)に伴う損失及び損害を回避し、及び最小限にし、並びにこれらに対処することの重要性を認め、並びに損失及び損害の危険性を減少させるうえでの持続可能な開発の役割を認識する。」
気候変動に関する国際連合枠組条約(UNFCCC)のもとCOP21で批准された歴史的な新たな気候変動対策の枠組であるパリ協定の第8条第1項にはこうあります。
パリ協定は、気候ストレスに直面する国々の損失と損害を最小限にするための世界規模での努力拡大を目指すもので、「何の損失と損害か」という重要な問題を提起しています。
金銭的な賠償が必要とされる気候ストレスによる甚大な経済的損失がある一方、金銭では買い戻せない損失も存在します。アイデンティティ、場所、健康、文化遺産、生物多様性などの喪失です。
非経済的損失・損害とは、市場で取引されないものに対し気候ストレスが及ぼす悪影響(可避、不可避、適応不能なものを含む)を指します。
NELDは、経済的な損失や損害と相互に関係する場合もあります。つまり、損失や損害は、経済的であると同時に非経済的でもあり得るのです。その一例が生活手段の喪失です。生活手段の喪失に関連して通常は経済的損失が発生しますが、非経済的な影響が及ぶ場合もあるためです。言い換えれば、損失は経済的損失よりも深いものである、あるいは金額だけでは測れないのです。
2015年9月、国連大学環境・人間の安全保障研究所(UNU-EHS)とミュンヘン再保険財団(MRF)及び国際気候変動開発センター (ICCCAD) は、第3回レジリエンス・アカデミー(RA2015)をバングラデシュのダッカ周辺で開催しました。参加者は、河岸浸食と洪水の被害を受けたシングプールというコミュニティを訪れました。ダッカから約100km離れたキショルガンジ地区にある村です。シングプールは、環境ストレスがバングラデシュでの生活の回復に及ぼす影響についての理解を深める目的で、2013年に「研究を行動につなげるギビカ・プロジェクト」の研究対象に選ばれた7カ所のうちのひとつです。参加者は、気候ショックと気候ストレスに関する体験について、住民から聞き取り調査を行いました。
レジリエンス・アカデミーの主催者であるロスターとバルテルト は、この訪問中こう記しています。「グルナハールは自慢げです。レジリエンス・アカデミーの学生が聞き取り調査を行う間、彼女の小さな小屋には20名を超える女性や子どもが詰めかけています。グルナハールはシングプールで生まれ、父親から土地を譲り受けました。現在は小さな家と庭を所有しています。そして息子が一人。マフムードは自慢の息子です。狭く、空気のよどんだ部屋に、興味津々の人々が次々と詰めかけてきます。全員この村の生まれです。私たちは、川の流れが激しさを増す理由を尋ねます」
2人は聞き取り調査でさらにこう記しています。「『アラーが次々と水を送ってくださる』とそこにいた数人がつぶやきます。コホリクールが、携帯電話で長い動画を見せてくれます。地面が水の中に崩れ落ちる映像です。『これは去年の洪水です』と彼が説明します。この15年間で川の動きは根本から変わりました。雨は以前より早い時期に降り出すことが多くなり、いずれにしても、より強く、より不規則になりました。聞き取り調査の最後に、調査員たちはそこにいる人たちに『一番の願いは何ですか』と尋ねます。するとシングプールの住人たちはすぐさま大声でこう返してきました。『私たちはここで幸せに暮らしている。この村に住み続けたい』と」
レジリエンス・アカデミーに参加したデリントンは自らの聞き取り調査でこう記しています。「なぜこの村に住み続けたいのか尋ねると、住民たちの目は輝きを増し、それまで遠慮がちだった会話が生き生きとし始めました。住民たちは村の空気を愛し、魚が捕れるところを気に入っており、両親や祖父母の住む場所に住みたいと思っているのです。これまで何世代にも渡り一族が生まれ、育ち、死んでいった場所に。彼らは近所の人たちをよく知っており、都会の『プラスチック製の人たち』と違い、密接なつながりを持っています。互いに助け合っています。共に子どもたちを教育しています。彼らはこの場所にとどまりたいのです。ここに」
1,500世帯のうち毎年約100戸が河岸浸食で破壊されています。つまり、人口約15,000から20,000名の既に過密な村が、さらに押し縮められているのです。
2014年のギビカ・プロジェクトのフィールドワークでは、既に3軒から4軒の家を浸食で失ったシングプール住民から聞き取り調査を行いました。彼らは、季節ごとの移住を余儀なくされているそうです。もはや農業や漁業といった生活手段には頼れないものの、村への深い愛着ゆえに、完全に移住してしまうのではなく1年のうち2カ月ほど他の場所で働く道を選んだのです。
なぜ人々は繰り返し自分の家を失う危険を冒すのでしょう。私たちの調査の結果、バングラデシュ全国で同様の状況が見られ、同様の回答が返ってきます。移住する財力があってもとどまることを選ぶケースもあります。 文化、伝統、社会的価値観、アイデンティティ、土地への愛着心が、移住するか否かの決断において重要な役割を果たしています。大半の人は、一族が何世代にもわたり住んできて、自分たちも育ち、思い出のある土地を去りたがりません。
シングプールのようなコミュニティの住民の声に耳を傾けることが重要です。最も脆弱な人々を守ることを目的とした気候変動関連協定の文脈においては、その土地にとどまりたいと考える人たちを支えることも重要だからです。
個人の体験談は、気候変動の最前線で暮らす人々にとっての現実を明らかにする助けとなります。さらに、シングプールのような場所を訪れたり環境ストレスを直接経験したりする機会のない人にとっては、現実のイメージを描く助けにもなります。個人の体験談は、既存の政策の枠組みにおけるギャップを識別し、人間中心の政策および最も脆弱な人々を守る政策を策定する助けとなります。政策策定者は、被害を受けたコミュニティに耳を傾け、住民の話から学ぶ必要があります。気候変動の最前線に暮らす人たちは、どのようなサポートが必要か最もよく知っているからです。
2015年8月、国連大学環境・人間の安全保障研究所は、ドイツ開発研究所 (Deutsches Institute für Entwicklungspolitik DIE)において非経済的損失・損害についての専門家ワークショップを共催しました。関連のNELDのウェブサイト には、レジリエンス・アカデミーがシングプールで聞き取った体験談を含め、気候変動の最前線での損失や損害についての個人の談話が掲載されています。
UNU-EHSの 環境の変動に伴う移住、社会的脆弱性と適応(EMSVA)の部門では、非経済的損失・損害についての基本的調査を行っており、 脆弱な国々における損失と損害のイニシアティブ(2012-2013)、 損失と損害の評価のためのメソッド・ツールボックス(2014-2016) 、 損失と損害の新たな視点についての特集(2015)などのイニシアティブを通して、重要な科学的貢献をしてきました。
これらの調査結果は、2013年のCOP19で設立された 損失と損害のためのワルシャワ国際メカニズム(WIM)の発展を支えてきました。現在WIMの執行委員会は第2回目の会合を開いており、その作業計画 は今年のCOP22で評価されます。