圧制後の移行期における正義:その複雑さと有効性

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  • 2012年5月9日

    ヴェセリン・ポポフスキー

    圧制後の移行期における正義:その複雑さと有効性

    Photo: UN Photo/Frank van Beek

    ヴェセリン•ポポフスキー博士(UNU-ISP)がオックスフォード大学と共同で立ち上げたプロジェクトがこのほど完了し、その成果をまとめた『After Oppression: Transitional Justice in Latin America and Eastern Europe(圧制の後で:中南米と東欧における移行期の正義)』(国連大学出版部)が近く発売される運びとなった。この本は、独裁政権崩壊後の正義と和解について、中南米と東欧からそれぞれ7つずつ、あわせて14のユニークな事例を取りあげている。この記事ではポポフスキー博士が、これら2つの大陸における移行の複雑さ、ならびに正義のためのさまざまなイニシアチブとメカニズムの有効性の評価について説明する。

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    独裁政権下の中南米と東欧における甚だしい人権侵害は人々の怒りを買い、これが最終的に大衆の反乱と変化の要求となって爆発し、独裁政権の終焉をもたらした。これは 下から上へと進むプロセスであった。つまり、徐々に不満を募らせていた一般大衆が、政局の変化を受けて、正義と人権侵害の加害者に対する説明責任を継続的に訴えると同時に、人権侵害の被害者に対する補償を求めたのである。前政権とつながりのある政治勢力がいまだ権力と影響力を保持していたこともあって、正義と補償を求める訴えは当初消極的な態度で迎えられた。

    移行期の正義は意見が分かれる複雑なプロセスであり、厳罰を望む極端な意見と、同じく受容しがたい全面的かつ無条件な寛容との間を揺れ動く。移行期の正義には、難しいバランスが求められる。心に深い傷を残す、きわめて感情的で対立を生む不満を十分に尊重すると同時に、社会的和解と将来の安定のための戦略についても考慮しなければならない。

    移行の複雑さ

    移行期の正義に内在する複雑さの1つは、被害者と加害者との間の境界のあいまいさである。武力紛争においては、国際人道法の発達により、戦闘員と非戦闘員、被害者と加害者、個人の責任と集団の責任、および侵害行為の立案者、指揮官、実行役の一般兵との区別が具体化された。しかし独裁政権後の移行期においては、そのような明確な区別はない。ほとんどすべての者が独裁政権によって苦しめられていたが、特定の高官を名指ししてその罪を立証することのできる者は多くない。

    皮肉なことに、同一の個人が同じ政権の「物言わぬ支持者」であると同時に「隠れた被害者」となっている場合がある。東欧では多くの才能ある労働者が、その優秀な働きぶりに対する一種の「報酬」として共産党員と認められたが、彼らは陰では反体制派であり続けた。1989年、これらの人々は一夜にして「 元共産党員」となり、たとえ共産党政権からいかなる特権も与えられていなくても、汚名を着せられる危険性に苦しむこととなった。一方、1989年以前に共産党員ではなかったにもかかわらず、突如として自らを「英雄」とみなし、「被害者」を装って不当な特権を求める者もいた。

    移行期の正義を評価するうえでのもう1つの難しさは、非常にデリケートで感情的な性質を持つ大量犯罪を、訴訟手続きに入ってからは「非感情的」に扱わなければならないということである。正義とは、市民的な方法で不正に対処し、人道的なアプローチで非人道的行為に立ち向かうことを意味する。法廷での審判は、明白な証拠と被告の権利の尊重に基づいて下されなければならない。過去に深い心の傷を負っている被害者とその身内にとって、このような法律上の厳密さは冷たく中立的で自分たちの苦しみに対し無関心であるように思われるかもしれない。しかし正義と説明責任のメカニズムは、被害者の苦痛を和らげる必要性だけでなく、より広範な社会的必要性により導かれるものなのである。

    さらにこの複雑さに輪をかけているのが、移行期の正義のプロセスにおいては、前軍事政権や元共産党指導者だけでなく、意外にも移行開始後に政権の座に就いた民主的に選出された政府高官に対しても捜査と起訴が行われる場合が多いという事実である。初代スロバキア首相のヴラジミール・メチアルは、機密文書破壊の容疑で捜査を受けた。アンドレイ・ルカノフ(元ブルガリア首相)は、横領の容疑で逮捕された。後に不起訴となったが、皮肉なことに刑務所に入っていた方がまだ安全だった。彼は自宅近くで殺害されてしまったのである。

    ブラジル初の民主的に選出された大統領、フェルナンド・コロール・デ・メロは、収賄容疑と上院による弾劾案のため辞任に追い込まれた。元アルゼンチン大統領、カルロス・メネムは、武器密売の容疑で逮捕された。彼はチリに国外追放された後、収賄容疑で捜査を受けた。ボリビア大統領を二度務めたゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダは辞任に追い込まれ、超法規的殺害と人道に対する罪で告訴されている。最も有名だと思われるのはアルベルト・フジモリ(元ペルー大統領)の例で、彼は日本から送還され歴史的な裁判を受けた後、就任中に犯した重大な人権侵害により最高刑である25年の実刑判決を受けた。

    東欧と中南米の経験から得られる主な教訓は、正義のプロセスを選挙における政党間の争いから切り離すことが重要だということである。政党が報復のため、あるいは選挙に勝つための手段として権力を用いるならば、正義のプロセスは歪められてしまう。移行期の正義は中立的立場を維持しなければならない。移行期の正義が政治家の手に委ねられてしまうと、政治的操作にさらされてしまう可能性がある。正義のプロセスが司法の手に委ねられた場合でも、独裁政権の糾弾ばかりを強調する体制崩壊後の論調に影響され、とくに貧しい国においては補償の提供に至らない可能性がある。

    もう1つの教訓は、一般的な認識に反して、過去の集合的記憶は永遠に固定・凍結されることは決してないということである。歴史は再調査することも、さらには書き換えることも可能だが、政治的または国家主義的な利害に基づいてそのようなことが行なわれることのないようにしなければならない。この文脈において過去は、苦しんだ被害者と独裁的なイデオロギーを実行した加害者との間の社会的分離として理解することができる。しかし興味深いことに、大部分の人々はその両者の間に位置する。多くの国ではこの大きな集団、すなわち被害者でも加害者でもない人々が、歴史的主張のバランスをとるうえで大きな影響力を持っていた。

    有効性の評価

    もう1つの複雑さは、移行期の正義の有効性についての分析と、その成否を評価するための基準の確立にある。有効性を判断するためのパラメーターとしては、次の3つが考えられる。すなわち「理想との比較」、「反事実的比較」(別のメカニズムの方が正義の実現に役立ったと考えられるか?)、および「経験的比較」(人々は満足したか?)である。これは有効性について考えるうえで良い出発点となる。なぜなら、正義のさまざまな要素は数値化が困難であり、寛容、和解、謝罪といったものは容易に評価することのできない抽象的概念だからである。

    『After Oppression: Transitional Justice in Latin America and Eastern Europe(圧制の後で:中南米と東欧における移行期の正義)』では有効性の評価を行っているが、この有効性とは、各国がさまざまなメカニズムを効果的に構築したか否かではなく、正義のメカニズムが目標のより広範な達成にどの程度貢献したかということを意味している。考えうるメカニズムをすべて立ち上げても、正義がしっかりと実現されない場合もある。有効性は、実施主体に大きく依存している。すなわち、社会が一致して正義を要求しているか、新たに選出された権力者が過去の政権の負の遺産を処理することにどの程度合意しているかということによって大きく左右されるのである。

    時間と費用に関する考察も、有効性評価の一部である。一般に企業においては、有効性とは可能な限り最短の期間と最小の費用で最大の利得を引き出す能力を意味する。しかし移行期の正義の分析においては、時間と費用のとらえ方はもう少し複雑になる。

    時間要因

    時間は重大な要素であり、証拠と目撃者の確保が欠かせない裁判に関してはとくにそうである。人権侵害は適切で公平な調査を必要とするが、これには時間がかかる場合が多い。課題は「早すぎず」かつ「遅すぎず」という最適なバランスを見出すことである。法の支配、公正な裁判、正当な法手続から逸脱した過度に迅速なプロセスや厳罰は避けるべきである。

    しかし、不必要な遅延は証拠の陳腐化や破壊を招く恐れがあり、そうなってしまった証拠を再現することは不可能である。好機は短い場合もあり、それを逃してはならない。政権交代の直後の方が、正義のためのイニシアチブは支持を得やすく効果的なものになりやすい。

    加害者の捜査・起訴がいまだ行われないまま、加害者が死亡してしまった、または裁判を受けられる健康状態でない場合、あるいは彼らに対する申し立てが時効を過ぎている場合、時間は移行期の正義に対し不利に作用する。経験(チリの事例など)によると、正義の追及は延期される場合もあり、政治的状況がより有利になった時点で機が熟すこともある。また時間は、メカニズムによってさまざまな役割を果たす。例えば、真実委員会、嘆願書、歴史的文献は、裁判に比べて必然的に時間の影響を受けにくく、移行後数十年を経た後でも効力を発揮する場合がある。

    費用要因

    時間と同じく費用要因も、移行期の正義に関しては、ビジネスの世界とは異なる作用をする。正義に要する費用が高額になると、被害者の苦痛を増す可能性がある。裁判にお金がかかりすぎるという批判の声も多く、追加補償として資金を配分することが提案されている。

    国内の司法改革を強化する取り組みの拡大によって、費用効率を改善することが可能である。強力な法の支配が確立されている国は、費用効率の高いイニシアチブを生みだす環境を提供しやすい。だが問題点もある。新政府は多くの場合、自らの正当性や安定を脅かしかねない広範囲に及ぶメカニズムを受け入れたがらない。あるいは政治的意思が存在したとしても、十分な資金や能力がない場合もある。

    このことはさらに別の問題点を浮き彫りにする。たとえ加害者が刑務所送りになったとしても、政府または裁判所が妥当な補償を提供することができなければ、被害者は満足できないままとなってしまう可能性がある。真実和解委員会は被害者に対する補償の良い手本となるかもしれない。しかし、多数の被害者に対する補償は、移行経済の手に余る可能性がある。

    興味深いことに、補償は金銭以外の方法、例えば非物質的な事実認定や寛容といった治療的要素によっても測られるということが見逃されがちである。費用の問題に対処するためには、加害者に刑罰を加えないことにより生じる高い費用と、前政権が犯した凶悪な犯罪を罰しないことによりもたらされる結果について考える必要がある。将来の違反行為を防ぐために投資することも政府の責務である。

    地域別の状況

    正義のメカニズムは透明で信頼性があり、地域主体でなければならない。正義のメカニズムは、過去の違反行為を調査し、修復的手法を用いて分裂したコミュニティを和解させ、過去について共通の認識を構築するよう努めるものでなければならない。

    東欧と中南米の経験は、移行期の正義を義務としてまた結果重視の実行例として各状況に合わせて解釈するうえで有益であり、有効性の比較、判断における経験的・地域的・地方的背景を提供する。ただ正義が求められているだけではない。平和、和解、人権の保護、説明責任、社会的信頼の確立を促進する正義が求められているのである。

    中南米では真実委員会、裁判、恩赦が多くみられるのに対し、東欧では粛清法、機密資料の開示、資産の返却が主流となっている。知名度の高い訴訟は、近隣諸国にも影響を及ぼしている。

    移行期の正義には標準化されたアプローチというものは存在しないが、一般的に近隣諸国の正義のメカニズムには類似性が認められる場合が多い。とはいうものの、移行期の正義のプロセスは、それぞれの状況に応じた適切なもの、それぞれの社会の特定のニーズに合わせたものでなければならない。