敵対国との和解: 著者スンフン・エミリア・ホ氏に聞く

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  • 2013年2月1日

    聞き手: シュテファン・シュミット

    敵対国との和解

    Photo: Emilia Heo

    スンフン・エミリア・ホ(許升薫: Seunghoon Emilia Heo)氏は韓国人で、幼少時代の大半をヨーロッパで過ごしました。 多文化の背景をもったことから、まずフランスでヨーロッパ政治を専門に研究したのち、スイスおよび米国で国際関係を研究しました。

    国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)の JSPS–UNU ポストドクトラルフェロー(2010年9月から)としての研究では、和解の文化を促進するうえでの、政治的エリートとメディア専門家の相互作用を探求しています。このインタビューでは、初めての著書である『Reconciling Enemy States in Europe and Asia(ヨーロッパとアジアにおける敵対国との和解)』(Palgrave Macmillan, 2012)および和解の概念についてお話しいただきました。

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    どのような動機で和解について書かれたのですか ?

    外交部で韓日関係に取り組んでいたとき、第二次世界大戦が終わってから半世紀以上も経った今、日本の植民地政策を実際に経験していない人々の間にまで、どのようにして国民的な怒りや憎しみがまだ広く行きわたっているのかといつも疑問に感じていました。ときには両国間の「和解できない」対話に苛立ちを感じましたが、同時にそれは私が研究の世界に立ち戻り、たとえばフランスとドイツやポーランドとドイツなどの一部のケースでは和解に成功したのに、トルコとアルメニアや中国と日本などの一部のケースでは成功していない理由の研究に着手する動機にもなりました。

    7年間にわたって研究なさった結果、「国家間の和解」の根幹は何だとお考えですか ?

    政治においては、あらゆるものが関係性で成り立っています。民族国家は、対人関係と同じように、対立的、協力的、あるいは競争的行動の応酬によって、関係の構築、破壊、更新を絶え間なく繰り返しています。 同盟、融和、正常化による緊張緩和、共存、国交回復などのいくつかの他の協力的な行動とは異なり、和解には道徳的・倫理的な側面が含まれるため、民族国家間でそれを追求するのは、より難しくなります。

    国交回復、正常化、共存…これらの言葉について、もう少し説明していただけますか ? それらは和解とどのように異なるのですか ?

    戦争がないことが平和の十分条件だと考えている人々にとっては、「和解」が国家間の関係にとって特別に役立つわけでないのは事実です。しかし、停戦や平和条約の調印、政治用語で言う正常化だけでは不十分だと考えている人々の心には、この言葉は強く響きます。

    「共存」も平和の一種です。けれどもこの「冷たい」平和の状況下では、互いに尊敬の念をもった交流は保証されません。敵意に戻るリスクがつねにあるからです。「和解」がなければ、信頼を基盤にした国家関係を築くのは困難です。

    同じことが「同盟」にも言えます。同盟は、ペロポネソス戦争の時代から民族国家が追求してきた、最も頻繁に見られる協力的な行動のひとつです。常識的な感覚では、同盟国は単に味方の国と考えられますが、実は「私たち」と「他の人たち」との間に線を引くために簡単に操れる存在です。ジョージ・W・ブッシュ前米国大統領はよく、「あなたが私たちの仲間でいないなら、私たちの敵ということだ」と主張していました。

    ですから、同盟の目的がいったん達成されてしまえば、同盟による結び付きは崩壊するおそれがあります。この意味で、同盟は国家の利益のための合理的な計算から生まれ、短期に焦点を合わせたものです。それに対して和解の最大の目的は、長期的な安定した平和的関係です。

    ヨーロッパとアジアの主な違いは何だと思いますか ? 和解が成功したケースはすべてヨーロッパに見られるようで、アジアにはありませんね。

    キリスト教の伝統が何らかの影響を与えてきたと論じる人もいれば、成功の根幹は「ヨーロッパのアイデンティティ」だとする人もいます。いくつか関連する点はあるものの、これらの主張はヨーロッパの歴史における民族主義者の運動が他のどの地域にも劣らず激しいものであった事実を見すごしています。政府のレベルと国民のレベルの両方から、いっしょに「何か」を構築しようとする意識的な努力がありました。

    ヨーロッパは共通のヨーロッパ文明に属しているだけでなく、第二次世界大戦の終戦直後に和解のための対話に乗り出す支援を外部から受けることができたため、ある程度「幸運」に恵まれたのだと言えますが、それでも、和解に向けた十分な準備と努力があったのです。

    この夏にジョンズ・ホプキンス大学でAICGSの和解のフェローとして研究されました。何か「新発見」はありましたか ?

    ちょうど韓国、中国、日本がとても騒然とした夏を過ごし、そのためにこの地域全体がいわゆる北東アジアの新冷戦時代に突入した時期に重なったので、著名な学者たちとともに和解の問題に取り組むには「完璧」なタイミングでした。それぞれのとった行動が、自分自身の野心に根ざした政治的扇動から生じたにせよ、国家利益を守るための合理的計算から生じたにせよ、韓国の李明博大統領と日本の野田佳彦首相は、両国の関係を和解からはるかに逸脱させる道を選びました。

    韓国のマスコミ報道は、1970年代当時のドイツのヴィリー・ブラント首相による「英雄的な」謝罪の意思表示を繰り返し引き合いに出して、日本が同じことをしていないと非難しました。ブラント首相はたしかに、特別な存在とみなされる個性を備えていました。2007年のアルジェリア訪問時に、自分の世代ではない世代が起こした植民地時代の悪事について謝罪する必要はないと論じたフランスのニコラ・サルコジ大統領とは異なり、ブラント首相は政治的行為を倫理的価値観に結びつける強い意欲の持ち主でした。

    しかし、その倫理性に基づいた先見の明のあるリーダーシップは、他の人々によって強力に後押しされていました。ドイツがポーランドとの和解に成功したことについて、私たちが見すごしがちなひとつの要因は、ポーランドとドイツの市民社会――とくにメディアのエリートと宗教活動家――による貢献です。彼らは国のリーダーシップによる積極的な関与がはじまる前から、社会的和解の道を切り開くために絶えず努力していたのです。ブラント首相自身がその伝記の中で、「教会と教会員の間の交流が、政治家の間のどのような対話より先行していた」と認めました。

    アジアの国々がポーランドとドイツの和解から学べる教訓はありますか ?

    私は、和解の取り組みは侵略国からより被害を受けた国から生まれることがとくに重要だと思っています。私の現在の研究は、日韓の和解における市民社会の役割に重点を置いています。宗教的価値観が、ポーランドとドイツのケースではメディア、宗教、政治をまとめるのにプラスの役割を果たしたのだとしたら、韓国と日本のケースではマイナスの役割を果たしました。

    このことから私は、和解を促すうえでの宗教間対話の限界と可能性を探ることに、とくに興味をもっています。イスラム教徒が多いトルコがEUに加盟しようとしている今、ヨーロッパ諸国はとくに宗教的多様性の課題に直面しています。もし日本と韓国の宗教活動家――どちらも宗教間対話に積極的な、仏教から派生した立正佼成会とカトリックから派生したフォコラーレ運動など――が、和解の成功に向けてそれぞれ固有の道を見つけられるなら、私はそれが可逆的にヨーロッパ諸国への教訓として役立つと確信しています。

    あなたの著書がどのような影響を与えることを望んでいますか ?

    書くことが研究者の義務であるとすれば、コミュニケーションは学者が自分の研究の成果を広めるために真剣に考慮すべき、もうひとつの活動分野です。マスコミの取材、会議、講演を通して、著者の考えは大勢の人々の間に浸透していくことができます。さもなければ、いわゆる象牙の塔の中だけに限られてしまうでしょう。

    著書が出版されてまもなく、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長がその主題に個人的な関心を抱いたことを表明し、5月に東京での私的な集まりに招いてくださいました。その際、市民社会と積極的にやりとりすることによってテーマに取り組み続けるようにと、全面的な支持と励ましをいただきました。 それ以来、私は韓国の主要新聞に自分の考えを発表し、世界中で本の出版記念イベントを開催し、さまざまな機関で講演を行っています。

    数々のイベントの中でも、2012年7月にソウルで開いたイベントは私にとって特別なものとなりました。200人ほどの参加者には、大学教授、外交官、ジャーナリストばかりか、主婦、高校生、会社員、さらには私の講演会に出席するためだけに(韓国語がわからないにもかかわらず)わざわざ東京から飛行機で駆けつけてくれた日本人の同僚たちもいました。

    最も感動的な反響は、そのイベントで演奏するために招かれた若いジャズ・ミュージシャンの、次のような言葉でした。「ぼくは政治にはまったく興味がないし、演奏中にイベントに注意を払うこともない。でも今日は彼女の話で、自分が属している社会に対してどう行動すべきかについて、改めて考えさせられたよ。」

    個人的には、私の本がきっかけとなってより多くの人々が「和解」の概念について、また近隣の国々との間で築いていきたい平和的関係の質について、考えるようになってほしいと願っています。