戦争の兵器としてのレイプとHIV

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  • 2012年7月17日

    オビジオフォー・アギナム

    First Phase Digital

    UN Photo/Louise Gubb

    国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)のオビジオフォー・アギナムが、最近出版された本で執筆を担当した章に基づいて、戦争紛争地帯での戦闘員による無差別レイプおよび公衆衛生インフラの破壊について論じるとともに、紛争後の社会におけるに感染したレイプ被害者への効果的な補償を呼びかける。

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    戦争と紛争の歴史には脆弱な女性に対する性暴力の組織的事例が数多く見られるが、現代の戦争では、戦闘員による戦争「兵器」としてレイプが大規模かつ無差別に展開されるようになった。最近の武力紛争では――旧ユーゴスラビア、リベリア、コンゴ民主共和国、スーダン、中央アフリカ共和国、シエラレオネ、ルワンダなど――戦闘の道具としてレイプの広範囲におよぶ利用が顕著な現象となっている。

    戦争兵器としてのレイプの利用に関し、1990年以前の紛争とそれ以降の戦争で著しく変化した点として、HIVの出現と、被害者に対するHIVの「故意の」伝染があげられる。社会科学の文献では、伝染と感染の実際の時期、また加害者の「意図」が被害者へのHIVの感染であったかどうかについて、真剣に疑問が提起されてきた。しかし、これらの行為の意図的な性質を裏付ける被害者の証言に、その証拠が得られる。

    フランソワーズ・ヌディマナは、2004年に出版された著書『The Right to Survive: Sexual Violence, Women and HIV/AIDS(生き残るための権利:性暴力、女性、HIV/AIDS)』で、大虐殺のあいだに多発したレイプの被害者による次のような証言を報告した。

    「60日ものあいだ、私の身体はあらゆる暴漢、民兵、地区の兵士の通り道として使われました……。その男たちは私を徹底的に打ちのめしました。ひどい苦痛でした。男たちは私の6人の子どもの目の前で私をレイプしました……。3年前、私はHIV/エイズだとわかりました。あのレイプで感染したことは間違いありません。」

    これはルワンダの紛争中にレイプが広く行われていたこと、また加害者には被害者にHIVを感染させる明確な意図があったことの、説得力のある証拠の一例である。

    紛争中にレイプの被害にあった女性たちは、補償、精神的・身体的リハビリテーション、社会的施策の利用、健康の安全保障に対して、不可侵の権利を有する。紛争後の社会を再建する努力の中で、武装解除、動員解除、社会復帰(DDR)のプロセスには、戦争/紛争中のレイプの被害者に対する全体的な補償を目指した持続可能な政策とプログラムを含む必要がある。

    歴史上の紛争、戦争、疾病

    過去20年間のHIV/エイズの出現と、ウイルスと紛争との間の複雑な相互作用によって、疾病に対する人間の安全保障と国家安全保障の両側面が強化されてきた。国家安全保障の側面は統治機構の崩壊に取り組み、人間の安全保障の側面は、紛争中の脆弱な集団、とくに女性と少女への脅威に焦点を絞る。

    戦争と紛争の歴史には脆弱な女性に対する大規模で組織的な性暴力が数多く見られるが、アフリカの国々をはじめとしたさまざまな地域での現代の戦争では、戦争兵器としてのレイプの利用、罪のない被害者への意図的または故意によるHIVの伝染、紛争後の再建プログラムでのこれら被害者の軽視が、ますます特徴的となっている。

    HIV/エイズの「安全保障化」は、1994年に国連開発計画(UNDP)によって人間の安全保障という概念が広まって以来、激しい学術・政策論争を巻き起こしてきた。人間の安全保障は、人々の安全保障に対する新しい脅威の出現を認知し、飢餓、環境悪化と自然災害、疾病、弾圧などの慢性的脅威からの安全を目指す。

    国際危機グループは2001年の「HIV/AIDS As a Security Issue(安全保障問題としてのHIV/エイズ)」と題した報告書で、HIV/エイズを、個人の安全保障の問題、経済的安全保障の問題、共同体安全保障の問題、国家安全保障の問題、国際安全保障の問題に分類した。人間の安全保障委員会は、人間の安全保障は暴力的紛争がないだけの状態ではないとし、委員会の中心的政策の決定の1つとして、世界的伝染病、貧困に関連した脅威、暴力と危機という、3つの主要領域での人間の安全保障に対する健康上の課題に重点を置いている。 HIV/エイズはこれら3つのカテゴリーにピタリと当てはまる。それは世界的に流行しており、少なくとも大半の貧困諸国では貧困に関連し、その世界的流行は複雑な方法で悪化しているからである。

    ある学派(数人の著名なアフリカ人およびアフリカ主義の学者が率いており、中心はアラン・ホワイトサイド、アレックス・デ・ウォール、サドカン・ゲブレ・テンサー)は、戦時のレイプが意図的であるにせよ組織的性暴力の副次的結果であるにせよHIV蔓延の重要な要因であるとする一般の主張に強く異議を唱えてきたが、少なくともルワンダ虐殺については、この主張を支持して証明する強力な証拠があることを認めている。ルワンダの事例について、彼らは「住民を完全に根絶しようとする組織的な襲撃であり、いかなる基準からしても例外である」と論じた。

    ホワイトサイド、デ・ウォール、およびゲブレ・テンサーの研究および学派の構造的問題は、デ・ブラウワーとチュが述べているように、「被害者となったことの恥辱によって女性と少女が犯罪を報告したがらないために、紛争下での性暴力の規模が完全にわかることがない」という事実にある。

    これはとくに、文化的・伝統的な慣習、信念、規範が社会的価値観と倫理観を形成している、大半のアフリカでの紛争にあてはまる。過去、現在、そして進行中の紛争でレイプが組織的に展開されてきたにもかかわらず、これらの行動とHIVの伝染との関係を、実証的に断定することはできないかもしれない。

    ステファン・エルベは非公式な統計とデータに基づいて、シエラレオネの人権活動家による「この国の8年にわたる内戦の間に、武装した反体制派と反乱軍の兵士が数千人の女性をレイプした」との報告を取りあげた。また100日間続いたルワンダ虐殺では、200,000人から500,000人の女性がレイプされたと推測されている。

    「中央アフリカの小国ルワンダを破壊し尽くした100日間におよぶ大量虐殺で…… 推定 250,000人から500,000人の女性と少女がレイプされ……レイプはルールであり、例外はなかった。性暴力はあらゆる場所で起こり、誰もそれを免れることはできなかった。」

    – アン・マリー・デ・ブラウワーおよび

    サンドラ・カホン・チュ

    The Men Who Killed Me: Rwandan Survivors of Sexual Violence(私を殺した男たち:ルワンダの性暴力の生存者)』(2009年)

    コンゴ民主共和国の東部では、さまざまな市民社会グループや国連機関が、何千人もの女性と少女を巻き込んだ広範囲にわたる組織的レイプを報告した。こうしたレイプやその他の性暴力行為は処罰も受けずに残虐に行われ、民間人、民兵、武装集団、コンゴ国軍兵士など紛争のほとんどすべての勢力が、古くからある法律、慣習、戦争規範に対する重大な違反を犯している。

    1999年から2003年までのリベリア内戦では、15歳から70歳までの女性の約49パーセントが、兵士または武装した民兵から1回以上の性暴力を受けた。シエラレオネでは1991年から2001年までの間に、約64,000人の国内の難民女性が戦争に関連する性暴力を経験した。

    大量レイプと少数民族の根絶が多発したバルカン半島諸国の紛争で起きた残虐行為や、脆弱な女性の尊厳および基本的人権の著しい侵害と比較してみれば、これはアフリカだけの現象ではないとするのが公正だろう。ブラウワーおよびチュは、古く第一次世界大戦(1914~1918年)の時代までさかのぼり、第一次世界大戦中の欧州(主にドイツ軍および他の枢軸国軍による)、第二次世界大戦中のアジア(日本帝国軍による)、第二次世界大戦中の欧州(ドイツ軍による)、1990年代のバルカン半島紛争中のボスニア・ヘルツェゴビナとコソボで、レイプ、強制売春、その他の性暴力が広く行われたと述べている。

    ルワンダの虐殺および継続中のコンゴ民主共和国の紛争で見られる証拠から、武装民兵と戦闘員は戦争の兵器としてHIVを利用しはじめたのは明らかだ。すでに述べたとおり、現代の戦争の顕著な現象の1つは、HIVの「故意の」伝染である。レイプ加害者の実際の意図が被害者にウイルスを感染させることにあったかどうかという疑問が真剣に提起されてきたが、エルベはルワンダのレイプ被害者の証言から得た、レイプ犯が被害者を愚弄した時の実際の言葉を引用している。「 おまえを殺したりはしない。それよりもっと悪いものをやる。おまえはゆっくり死んでいくのだ。」ルワンダで捕らえられた女性が、レイプのためだけにHIV陽性の兵士たちのところに連れて行かれたという、別の証言もある。(「Widows Expose HIV War Threat(HIV戦争の脅威にさらされた未亡人たち)」:Worldwoman News(ワールドウーマン・ニュース)のマーガレット・オーエン)

    HIVの「兵器化」によって引き起こされるこのような出来事は、紛争後の社会での人間の安全保障に深刻な問題を提起している。その結果、人間の安全保障と国家の安全保障の相補的な性質から、HIVは安全保障の議論の中でより鮮明なものとなってきた。戦時には、インフラが破壊されるとともに、戦闘員によって戦争兵器としてレイプが無差別に展開されるために、兵士と民間人ともにウイルスに感染するからである。

    国際人道法(大量虐殺、戦争犯罪、人間性に対する犯罪を全般的に刑事罰の対象とする、定められた規範)には、ルワンダと旧ユーゴスラビアで戦争兵器としてレイプを組織的に展開した個人に対する刑事上の有罪判決の前例が数多い。ルワンダ国際刑事裁判所での大量虐殺の罪に問われたジャン・ポール・アカイェスの裁判では、被告はツチ族の女性に対する組織的レイプを含む性暴力行為を支援して扇動した罪で有罪となった。ツチ族の女性に対するこうした組織的レイプ行為は、アカイェスの権限下にあった地域で実行され、民族を理由に女性たちを殺害しようという意図を伴っていた。

    アカイェスのような法的前例があるにもかかわらず、国際的な法の仕組みは、戦後社会の再建に全体的なパラダイムを提供しているだろうか? HIV、レイプ被害者、精神的その他の補償の間の関連は、紛争後の再建プロセスと平和構築プロセスで配慮されてきただろうか?

    DDR と紛争後社会のレイプ被害者

    武装解除、動員解除、社会復帰(DDR)プログラムは、国連その他の重要な関係機関によって、紛争後の平和構築と再建プロセスに不可欠な要素として認められるようになった。しかし、 DDRプログラムは軍部、人道主義者、その他の社会経済的要因が関わる多面的な性格をもっているため、複雑な状態のままである。

    紛争中のレイプ被害者については、ヌディマナが『The Right to Survive: Sexual Violence, Women and HIV/AIDS(生き残るための権利:性暴力、女性、HIV/AIDS)』の執筆のためにルワンダ虐殺でのレイプ被害者を調査し、HIVに感染したレイプ被害者数千人のうち30人の女性から直接話を聞いた。ルワンダ虐殺から10年以上を経た2004年の著書で、ヌディマナはこの女性たちが虐殺を生き残ったと本当に言えるのかどうかと疑問を投げかけている。「こうした女性たちは(日々)、大量虐殺、レイプ、HIV/エイズという3つの悲惨な運命につながれて、友人、知人、隣人、家族が名も知られぬまま命を落とすのを目の当たりにしながらも、世界は彼女たちの運命にまったく無関心なのだ。」

    ルワンダの事例は特異な出来事ではない。リベリアとシエラレオネの内戦でのレイプ被害者についても、同様の要望と提案が提出されてきた。ルワンダやその他の紛争後社会の事例では(ほとんどはアフリカだが)DDRプロセスは武装解除と動員解除(2つのD)を強調しすぎて、社会復帰(R)がほとんど顧みられていない。

    社会復帰が関心を集め資源を得ている地域でも、少年兵士や元戦闘員を社会に復帰させることに重点が置かれ、レイプ被害者は軽視されていることが多い。故意の戦争兵器であるレイプの被害者は、経済的補償、精神的・身体的リハビリテーション、社会的施策の利用、健康の安全保障に対して、不可侵の権利を有すると私は考える。もし大半のDDRプログラムのように、動員解除のために元戦闘員への現金支給が頻繁に行われるなら、HIVに感染したレイプ被害者に同等の現金を支給しないとする理由はない。

    ヌディマナが言うところの「生き残るための権利」が、現代のエイズ政策の中心を占めるべきである。紛争後のアフリカ社会におけるDDRプロセスの大半には、紛争中のレイプによるHIV感染被害者の精神的・医学的リハビリテーションという、この非常に重要な社会問題を組み込んでいくよう尽力しなければならない。

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    本論文は、最近出版された編書『HIV/AIDS and the Security Sector in Africa(アフリカのHIV/AIDと安全保障セクター)』オビジオフォー・アギナム、マーティン・R・ルピヤ編、2012年、国連大学出版部)を基にして執筆された。