2016年8月12日
Photo: Roberto Trombeta / BY-NC 2.0
アムネスティ・インターナショナルやイスラム協力機構の最近の報告では、イスラム教徒が欧米において、長年にわたる偏見の犠牲者となっていることが指摘されている。今日、欧米諸国におけるイスラム嫌悪の拡大は、世界的な大きな懸念となっている。加えて、イスラム教徒の中でもとくに女性は、宗教、外見、ジェンダー平等、および移住といった問題に根ざす多重の差別により、かつてないほどの苦境に直面しているといえる。
2001年9月11日にニューヨーク市で起こった同時多発テロ事件の直後、欧米では、「対テロ戦争」の論調一色に染まった政治的なレトリックや動向が見られるようになった。9.11を転換点として、欧米諸国で暮らすイスラム教徒の社会的・政治的状況は一変したのである。世界的に見て、テロ攻撃をイスラム教と結びつけて考える傾向は現在まで変わっていない。しかし、この2つが関連づけられるようになった発端はさらに過去にさかのぼることができ、具体的には1979年のイラン・アメリカ大使館人質事件などがあげられる。
2015年11月13日のパリ同時多発テロ事件以降、『アルジャジーラ』や『ワシントン・ポスト』、『英国放送協会』(BBC)、『ガーディアン』などのメディアにより、一見してイスラム教徒とわかる人々を標的としたヘイトクライムの発生件数がとくにフランスや英国を中心に急増していると報じられた。これらの報道によれば、被害者の大多数は「目につきやすい」イスラム教徒の女性、中でもベールを被った女性であるということであった。
その原因の一端として、今日の欧米社会が抱いている、イスラム教徒の女性に対する2つの支配的なイメージが考えられる。1つは、イスラム教徒の女性のベールが、「欧米」と「イスラム教」の価値観の相違と隔たりを際立たせるものとして、欧米で物議を醸すシンボル、すなわち進歩的な欧米とは相容れない後進性の象徴とみなされていることである。もう1つは、ヒジャーブやニカーブ、ブルカといったさまざまな形態のベールが、長年にわたって欧米に対する安全保障上の脅威と考えられてきたイスラム世界を象徴しているという点である。
ヒジャーブなどのベールの基本的な辞書上の定義は、「一部のイスラム教徒の女性が、公共の場で頭を覆うために身につけるもの」であることを考えると、問題となるのは、なぜこうした布に過ぎないものがこれほどまでに注目と反感を集めることになるのか、ということである。
イスラム教徒の女性は自分たちの人権のために世界中で闘ってきた。彼女たちはイスラム諸国・非イスラム諸国のいずれにおいても差別と暴力に直面している。こうした状況は往々にして、彼女たちがイスラム教徒の女性としての服装をし、頭部または全身を覆わなければならないとされていることに関係している。+++
サウジアラビアやイランなどの国では、イスラム教についてのそれぞれの解釈や理解に基づき、各国政府が考える真のイスラム教の教えに則って、法律と慣習によりイスラム教徒の女性にベールの着用を義務づけている。ジョージ・W・ブッシュや、ニコラ・サルコジ、トニー・アボットなどの多くの欧米の政治指導者が、こうしたベールで覆われた「抑圧された」女性たちへの同情といたわりを表明してきた。しかし、このことから分かるのは、「現代の欧米」で暮らすイスラム教徒の女性にとっても、女性としての自らの身体にまとうもの、どのような姿をし、どのように装うかということが依然として問題となっているということである。
そうした事態を受け、ヒジャーブやブルカなどのベールが(意図的に)政治討論や、安全保障問題、メディア報道のテーマとして扱われることが多くなってきた。このような政治議論において、国家安全保障、ナショナル・アイデンティティの擁護、ジェンダー平等の名の下に、欧米社会における規制と政治的行動の対象となるのが、まさしくイスラム教徒の女性の身なりなのである(一例として、フランス政府は公共の場でのブルカやニカーブの着用を禁じている)。
こうした現状はまるで、イスラム教徒の女性が自らにとって何が最良であるかを判断できないか、もしくは彼女たちが何らかの形で洗脳され、自らの苦しみに気がついていないと思われるといったことを理由に、彼女たちの身なりについて規制する喫緊の必要性があるのだという暗黙の世界的合意が存在するかのようである。端的に言えば、イスラム教徒の女性が有する行為主体性、すなわち独力で考え、行動するという彼女たちの能力を否定しているのである。
こうした状況の中で、ベールをまとったイスラム教徒の女性の装いは、抑圧された存在、もしくはナショナル・アイデンティティに対する目に見える脅威のいずれかとしてのレッテルを貼られているのである。このような覇権主義的な趣旨の情報は、さまざまなプロセスやツール(中でも欧米のメディア)を通じて世論に発信されてきた。
メディアは国際世論の方向性を決定づける最も強力な要素の1つとして、イスラム教徒の女性に対する態度など、社会文化的問題をめぐる大衆の理解と信念を形成するものである。イスラム教徒の女性に対する覇権主義的な見方は、欧米の一般的なメディアにより積極的に長く維持されていることが、複数の学術調査によって指摘されている。主要なメディア報道が、イスラム教徒の女性を抑圧と無抵抗に結びつけて報じる一方、各種メディアは欧米世界の価値観や規範と相容れない文化宗教的な象徴として、ベールに関する懸念をたびたび表明している。同時にメディアは後者の問題を、欧米における少数派であるイスラム教徒の統合に関する懸念や議論として取り上げ、関連づけている。
しかし、すべてのメディアがベールを否定的な文脈で取り上げているわけではなく、その可能性や影響力を利用して、イスラム教徒の女性の生活にかかわる現実を反映した姿を描写しているものもある。さらに、イスラム教徒の女性の声を取り上げ、ベールやブルカをも身に着ける彼女たちの選択と肯定的な感情を、紙面を割いて説明しているものもある。最近では、『ガーディアン』と『アルジャジーラ』の記事がその具体例である。
ベールはこれまで、抑圧の象徴、原理主義的信仰、欧米の民主主義的価値観への脅威として広く描写されてきた。ベールに対するこうした還元主義的な捉え方は、イスラム教の名の下に欧米諸国で激化しているテロ攻撃と相まって、イスラム教徒への反感の風潮を生み出している。この結果、ベールをまとったイスラム教徒の女性がイスラム教の代名詞的存在となり、しばしば欧米の公共の場で、イスラム嫌悪に根ざした暴力や暴言によるヘイトクライムのターゲットとなっている。例えば、英国では敵意に満ちた社会的風潮が高まっていることから、デーヴィッド・キャメロン英国首相(当時)は、警察が反イスラムのヘイトクライムを一つの犯罪カテゴリーとして扱うことを発表した。
一般的な西洋文化において、ベールはイスラム教の家父長的文化に根ざしたものであり、身体に対する権利などの基本的人権を何世紀にもわたって女性から剥奪するための手段となってきたと見なされている。こうしたことから、イスラム教徒の女性は「抑圧された」従属的な人々であり、「啓発され」、「救済され」る必要があると考えられている。イスラム教は、移動の自由など、多くの点で女性の自由を否定しているものとして非難されている。
しかし、例えば、ファッションの世界における社会的・政治的に構築された理想的な女性の身体という「圧制」を考慮したとき、欧米の女性が自らの身体に関して自由と選択のある世界で暮らしていると本当にいえるのだろうか? そして、自由の欠如を経験しているのはイスラム教徒の女性だけなのだろうか?
私は人文地理学者として欧米諸国とイスラム諸国の双方で、イスラム教徒の女性の生活に関するかなりの調査を実施してきた。現在は、ニュージーランド第四の都市であるハミルトンに暮らすイスラム教徒の女性たちの精神的経験について調査を行っている。これまでの調査を踏まえると、イスラム教徒の女性を二分化することは適切ではないと考えている。
多くのイスラム教徒の女性は、普遍的な現代性という原則と、個人主義およびプロフェッショナリズムの価値観についてよく理解している。彼女たちはこうした価値観の一部を積極的に取り入れ、日常生活に反映させている。
こうしたイスラム教徒の女性は増加しており、高等教育を受け、社会的・政治的討論に参加し、流行の衣服を身につけ、イスラム教に対する理解の拡大と改善において積極的な役割を果たしている。さらに、テクノロジーにも精通し、ソーシャルメディアを使いこなしている。ベールを着用する理由はさまざまで、信仰や第三者からの強要だけがその理由ではない。
例えば、ヨーロッパによる植民地主義の時代、イスラム教徒の女性たちは反植民地抵抗運動の象徴としてヒジャーブを身につけることで、自分たちのアイデンティティと文化を再確認した。また、英国、カナダ、米国における複数の研究によっても、イスラム教の衣装とベールが一部のイスラム教徒の女性にとってアイデンティティの確固たる表明の意味を持つものであることが明らかにされている。欧米で暮らすイスラム教徒の女性にとって、ベールの着用は民族宗教的アイデンティティを形成する1つの手段、すなわち帰属の手段なのである。
多くのイスラム教徒にとって、ベールは慎みの象徴である。私は修士課程の学生であるインドネシア出身のローズ(25歳)に、ヒジャーブを着用する理由について質問した。ローズはニュージーランドに3年間在住しているが、ニュージーランドでは1年前からヒジャーブを着用し始めた。
「……(私たちが)ヘッドスカーフを被らなければならない理由について(人から)とても興味を持たれることがあります。『夫に被るよう強制されているのか、それとも既婚女性は全員ヘッドスカーフを被らなければならないのか?』と。私は、自分の意志で被っているのだと説明します」
ピュー研究所の調査によれば、イスラム教は(キリスト教に次いで)世界で2番目に信者の多い宗教であるだけでなく、主要な宗教集団の中で教徒人口が最も急速に増加しているとのことである。同調査では、世界のイスラム教徒人口は2010年の16億人から2050年には28億人近くにまで増加すると推測されている。ピュー研究所の予測を踏まえると、ヨーロッパのイスラム教徒人口は、その年齢構成、移住、若者の出生率の高さなど、いくつかの要因から、2010年の約4,300万人から2050年には7,100万人近くにまで増加すると考えられる。
このようにイスラム教徒人口が増加することにより、イスラム教徒とイスラム教徒の女性への長年の偏見とヘイトクライムはどう変化するのだろうか?
イスラム教徒の女性を、抑圧された存在か、目に見える安全保障上の脅威かに二分化することは、欧米諸国で暮らすイスラム教徒の女性たちに、不安で敵対的な環境をもたらす要因となっている。イスラム教徒の女性は、欧米の価値観と文化への脅威とみなされ、「場違い」とのレッテルを貼られる。就労する権利など、土地と居住がもたらす恩恵への暴力的な干渉は、イスラム嫌悪の拡大と二分化された上記のステレオタイプによって引き起こされた1つの結果である。
ローズはインタビューの中で、自分のルームメイトがクライストチャーチに暮らすイスラム教徒の女性として受けた「多くの嫌な経験」について話した。例えば、ルームメイトが卸売店で働いていたとき、誰かにヘッドスカーフをつかまれ、「何の権利があってここで働いているんだ、忌々しいイスラム教徒め!」と怒鳴られたことがあったと説明してくれた。
イスラム教徒の女性に対するこのような態度は、彼女たちから尊厳を奪うだけでなく、社会的疎外をも引き起こす。暴言や暴行を受けたことのあるイスラム教徒の女性の多くは、状況を悪化させたくないと考えたり、訴えを真剣に受け取ってもらえるかどうか自信がないことから、そうした犯罪を通報してこなかった。英国で提案されたように、イスラム教徒へのヘイトクライムを一つのカテゴリーとして対処する方法を導入すれば、この問題の一部は解決される可能性があるものの、根本的な対処とはならないだろう。
ここで改めて注意を促したい点として、私はイスラム教徒の女性の身につける衣装やベールが、抑圧でも性差別でもないと主張しようとしているわけではないということである。そうではなく、イスラム教徒の女性が、抑圧された存在であるか、安全保障上の脅威であるかという二分化されたアイデンティティの枠に収まらないということを理解することがより重要であると強調したいのである。文化、歴史、人格という点で、イスラム教徒の女性の多様性を認識することが、早急に必要である。
イスラム教徒の女性の生活様式やベールをまとう理由は、その経歴や彼女たちが暮らす社会・政治環境などの要素から大きな影響を受けて形成されるものである。従って、こうした女性たちを1つの広範な社会的カテゴリーに分類することは、容易でも適切でもない。
最後に大切なことを付け加えると、自由や豊かな生活といったものの意味は人によって、また文化によって異なるのである。社会の中の対立を減らすうえで、最も重要であり、かつ同時に最も困難ともなりうる方策は、個人と文化の相違への理解と受容を育むことである。国連の、宗教または信念に基づくあらゆる形態の不寛容および差別の撤廃に関する宣言の第4条には、「すべての国は……宗教または信念を理由とする差別を防止しかつ撤廃するための実効的な措置をとる」とはっきりと明記されている。
この点で、政府とメディアは、欧米社会で拡大する多様性に対して受容と相互理解を育むために、教育を通じて重要な役割を果たすべきである。