気候変動による移住者の話:ダッカのスラムより

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  • 2016年11月2日

    ソニア・アイエブ・カールソン

    A Climate Migrant’s Story, from an Urban Slum in Dhaka

    Photo: UN Photo/Kibae Park

    非経済的損失・損害(NELD) 、つまり市場で取引されないものに対し気候ストレスが及ぼす悪影響(可避、不可避、適応不能なものを含む)は、 気候変動問題に関する課題の重要な部分を占めています。これらの影響は金額に換算できませんが、そうした損失に対処せざるを得ない人々にとっては大きな意味を持っています。

    国連大学環境・人間の安全保障研究所(UNU-EHS)と国際気候変動開発センター及びミュンヘン再保険財団率いる ギビカ・プロジェクト のための 調査をバングラデシュで行ったUNU-EHSの研究員ソニア・アイエブ・カールソンは、生活歴の聞き取り調査に参加した際、ボーラ・スラムでベルキス(41歳)に出会いました。

    この調査は、バングラデシュの首都ダッカのスラムで行われました。壊滅的な被害を出した1970年のボーラ・サイクロンの後にボーラ島から移ってきた住民が多いため、このスラムはボーラ・スラムと呼ばれています。ボーラ島はバングラデシュ南岸に位置し、河岸侵食が激しく、たびたびサイクロンの被害に遭っています。

    アイエブ・カールソンは、スラムでの生活歴聞き取り調査の体験についてこう語ります。

    「ダッカのボーラ・スラムの狭い通路に入ると、熱気と臭気に顔を打たれました。私は気を失うかと思い、思わず立ち止まったことを覚えています。 住民の大半が火を起こして昼食の準備を始めていたので、ぐんぐん温度は上がるように思われました。食べ物やゴミ、排水のにおいと湿気との区別はほとんどつきませんでした。

    「私は同僚と一緒にベルキスの家にたどり着きました。彼女は調査への参加に関心を示していたのです。彼女の家へと続く不安定な長い階段を登りながら、彼女はこのスラムで3階に住んでいるのは自分たち一家だけだと誇らしげに語りました。『洪水の時は水が3階までは来ないから良いけれど、火事になったら逃げ道はありません』と彼女は言いました。」

    「私たちは木の床に座り、私はノートと録音機を出しました。 一家がボーラ島を後にしてダッカへ移住せざるを得なくなり、いかに生活が様変わりしたかというところから彼女の話は始まりました」

    「(ダッカへ移り住むと)父は年老いて働けなかったので、兄が経済的に一家を支えることになりました。兄が死んだ後両親は体調を崩し、私は物乞いをして家々を回らざるを得なくなりました。(もし島にとどまっていれば)私は自分の健康に気をつけていられたでしょう。耕す土地があったから、生活はもっと楽だったでしょう。私たちは自分の土地を持っていたから、物乞いする必要はありませんでした。島の暮らしは良かったです」

    ベルキスの話は、気候ストレスによって住民が直面する損失の一例に過ぎません。彼女の一家は、河岸浸食とサイクロン被害のため、ボーラ・スラムへ移り住んできました。浸食で家を3軒失い、サイクロンで息子を2人失い、一家には他に道がありませんでした。

    ギビカ・プロジェクトに関連して行われた調査によって、環境の及ぼすショックから住民が回復したり、気候ストレスから逃れたりするうえで、移住は効果的方法となり得ることが明らかになっています。しかしそれと同時に、気候変動による移住者は、新たな目的地にたどり着いた後で新たなリスクや危険、脆弱性にさらされる場合もあります。

    ベルキス一家は、ダッカのスラムに移り住んだ後、新たな試練と損失に直面しました。一家は不法占拠していたため強制退去させられ、目の前で住居を叩き壊されたのです。一家が失った家はこれで4軒目でした。一家は、ベルキスの母親が病気になり風邪で死にかけるまで、段ボールで作った間に合わせの小屋で暮らしました。

    ベルキスは経済的事情から12歳で結婚しました。一家の稼ぎ手であった兄が亡くなると、両親を養うために物乞いを始めざるを得ませんでした。それでも足りないかのように、ダッカの危険な労働条件ゆえに一家はさらなる損失に直面しました。

    「夫は事故に遭い、まともに働けません。山で泥岩を切り出している最中に突然土砂崩れに遭ったのです。山の内部には配管が通っていて、それが壊れて土砂が崩れたのです。夫は穴に落ち、埋まってしまいました。他の作業員たちが泥を取り除き、どうにか助けてくれました。夫は病院へ運ばれました。今は、働こうとしてもいろいろと問題が出てきます。おなかの両脇から痛みが走り、咳き込むと血を吐くこともあります」

    損失の中には経済的なものもありますが、そうでないものもあります。健康上の被害は確かに経済面に影響を及ぼしますが、例えばベルキスの夫は、自分の子と遊んだり、妻と午後の紅茶を飲んだりする体力もありません。重労働とスラムの劣悪な生活条件によって、ベルキスも夫もひどく健康を損ねています。その結果、収入の多くが薬や病院代に消えていきます。健康状態ゆえに借金を背負うこともあります。

    アイエブ・カールソンは、聞き取り調査中の一家の状況をこう記しています。「聞き取り調査を終える頃には、ベルキスは薬を飲まなくてはなりません。私は、すぐ横に置かれたベッドで寝ているベルキスの夫に目をやります。彼は聞き取り調査の間全く動かず、物音ひとつ立てませんでした。ベルキスは私の心配を見て取り、昨日働いたから今日は休む必要があるのだと説明してくれました」

    ベルキスの話は、バングラデシュの地方から都市部へ移住した一家にどんなことが起こりうるかを伝えています。「移住を決めた」、「移住をせざるを得なかった」で終わりではないのです。 ベルキスの人生の物語が始まるのは、一家がダッカにやってきたところからです。しかし、彼女はそうは語りません。彼女は聞き取り調査で、まるで自分がそこにいたかのように語ります。まるで自分が損失を経験したかのように。まるで自分の家が川へ崩れ落ちるのを見たかのように。まるで自分が移住したかのように。まるで自分が首都に着いた後一から始めなくてはならなかったかのように。これは彼女なりの物語です。ベルキスは、家族とボーラ島で暮らしたことはありません。彼女はダッカの別のスラムで生まれました。ダッカで生まれたにもかかわらず、彼女の物語の始まりはそこではないのです。

    ベルキスはボーラ島に2回しか行ったことがありません。それぞれ3日から4日の滞在でした。彼女はずっとダッカで暮らしてきました。それなのに、彼女からはダッカではない土地への帰属意識が伝わってきます。

    ベルキスのような体験から学ぶべきことは、はるかに多くあります。福祉は「快適で健康で幸せである状態」と定義されます。アイデンティティや土地への帰属の喪失は、人の福祉に決定的な影響を及ぼしかねません。持続可能な開発目標3では「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する」ことを目指しています。

    「福祉」の定義は、「働くのに十分な健康を有すること」よりも深いのです。これは、より持続可能な未来のための計画を策定するうえで、正しい方向に向けた重要な一歩です。

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    元の記事 UNU-EHSのウェブサイトに掲載