システム転換のための生物文化的レジリエンス

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  • 2012年12月18日

    グレブ・レイゴロデッツキー

    本記事では、国連大学高等研究所(UNU-IAS)の伝統的知識イニシアチブリサーチフェローであるグレブ・レイゴロデッツキー氏が、世界を席巻する経済開発というパラダイムによって引き起こされている様々な危機から脱却するために、レジリエンスと生物文化的多様性を結びつける必要があると説明している。

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    生命が相互に依存する現象と過程は驚くほど多様である。この、いわゆる「多様性」が均一化という現代の圧力に よって損なわれつつある。相互に強化し合う生物、文化、言語の関係という数限りない糸で織りなされた豊かなタペストリーが擦り切れつつあるのだ。ますます 疲れを増す私たちの世界は、様々な「~化」による容赦ない攻撃を受けて、活力と光度と輝きを失っている。例えば工業化、植民地化、世俗化、コンピューター 化、全世界化、調和化などだ。

    多数の危機が激化し、集中化している。例えば、気候変動は生態系の劣化を加速している。ピークオイルは、炭素をベースにした燃料の争奪戦を生み、究極的に カーボンフットプリントはより多くなる。過剰消費、貧困、種の喪失、生態系や文化の衰退といった問題は深刻化しており、組織的崩壊がさらに近づいている。

    人間に起因する変化が環境と社会に与える影響がますます明らかになり、地球は瀬戸際まで追いつめられている。そして今、支配的でほぼ直線的な 還元主義的世界観から生まれた思考は捨て去らなければならないという認識が広まりつつある。 アルバート・アインシュタインが述べたように、 「我々が直面する重大な問題は、問題を生み出した時と同じ思考レベルでは解決できない」。現在の支配的なパラダイムを頼りに、どれほど多くの技術的「微調 整」を行っても、私たちは今日に至るまで人類を深刻な窮地から救い出せなかったのだと認めなければならない。従って私たちは、非直線的で相互依存的な生命 の特性にもっと寄り添った、新たな思考を育む必要がある。アラン・ワイズマン氏がノンフィクション作品『 人類が消えた世界』の中で語った人類の運命を避けるためには、そのようなパラダイム・シフトが不可欠だ。

    現在の還元主義的で二元的な協定の限界に、科学者や管理職や政策立案者は徐々に気付き始めている。そのような協定は、自然と文化は別々の存在であり、人類は自然とは別個の存在と仮定している。こうした観点は、私たちと地球の関係の本質を反映できないため、地球が置かれた危険な状況の究極的かつ直接的原因に取り組む上で役立たない。

    松の枝を持つリマ・イサマ・ペドロさん。モハンディタ、エクアドル。写真: ニコラ・ヴィヨームConversations with the Earth (CWE)

    昨今、数々の統合的な学術分野が誕生している。例えば システム科学レジリエンス科学生態系の健康学民族生態学ディープ・エコロジーガイア理論などだ。こうした分野は、地球が直面する複合的な問題に取り組むために、文化と自然間の複雑で非直線的で多重的な相互作用の理解促進を目指す。さらに、生物学と社会学の両方から得られる洞察を統合し、メインストリームの科学的手法と共に、土地に基づくコミュニティーの 伝統的知識体 系や先住民族の世界観に敬意を払いつつ公平に活用する方法の開発も目指すことが多い。生物多様性の保護、野生生物の管理、文化保全、持続可能な開発に携わ る地域的および国際的組織は、上記のような相互作用的なアプローチを探究し、それらを意思決定や政策立案のプロセスに統合する活動にますます積極的に取り 組んでいる。

    残念なことに、自然科学や社会科学における専門化と権力ヒエラルキーは、知のサイロ化(専門化が進み、他分野との連携を失うこと)によって窮地に陥った学習と実践の環境をいまだに支えており、私たちが直面する問題の解決を促すどころか、問題を増幅している。しかし新たな認識も生まれている。つまり、私たちが熟慮し、今日の経済や政治や個人の置かれた現実を、より持続可能で公平で多様な世界に置き換えようと努力するなら、私たちは 人類と環境の相互作用に関する全体論的視野に 頼らなければならないという認識だ。私たちは社会システムや生態学的システムだけでなく、それらを取り巻く環境的および文化的問題を想定し解釈するため の、より相互作用的な方法を発見(あるいは再発見)しなくてはならない。私たちは賢くならなくてはならない。そうすれば、私たちが地球を体験し、地球と相互作用を持ち、地球とその構成要素の価値を尊重する方法を、本質的に全体論的な視野にしっかりと根付かせることができるのだ。

    昨今、数々の統合的な学術分野が登場し、文化と自然の複雑な相互作用の理解促進を目指している。

    世界や、世界と私たちの関係についての統合的考察は、例えば生物文化的多様性というレンズを通して行うことができる。そのような相互作用的学術分野のパイオニアの1人であり、 テラリンガの代表である ルイサ・マッフィ博士は、 生物文化的多様性を次のように説明している。「地球の脈動であり、この惑星上の生命の美と可能性の多面的表現であり、誰もが大切に思い、いつくしむべき貴重な贈り物」生物文 化的多様性が描き出すのは、様々な形態の多様性の持つ生命維持的な相互依存性や共進化だ。それはランドスケープから生態系、食生活から言語までを網羅する、先住民族の知恵に不可欠な世界観である。

    生物文化的多様性の提唱者や実践者は(世界、地域、地元レベルで)、より全体論的なモデルと実践的アプローチを、教育や政策、環境保護、持続可能な開発といった分野に取り入れようと懸命に活動している。「生物学的絶滅を引き起こす実際的要因と文化の均一化に見られる類似点は無視できません」と、 ジョージ・ライト協会の会長である デイヴィッド・ハーモン氏は主張する。「そうした問題を効果的に解消するには、生物文化的対策を結束して行うしかありません」

    冬に備えてヤギのチーズ作りにいそしむ遊牧民族。インド、ザンスカール。写真: ニコラ・ヴィヨーム/ (CWE)

    地球憲章の 前文に、未来には大きな希望と同時に大きな危機も存在しているという、地球の歴史上、重大な転換点に人類は置かれていると記されている。多様性とレジリエンスに恵まれた公平な未来へ向かう道を模索するにあたって、私たちは誇りを持って孫の世代に残せるような世界を思い描きながら進まなければならない。その世界は、かの有名なエデンの園なのか、ワイズマン氏が描いた「人類が消えた世界」なのか? それとも、気まぐれな市場の仕組まれた需要とインセンティブを受けて、実験室で設計されてコンピューターのスクリーンに描かれたテクノサイバー的現実なのか? 私たちが未来の世代に残す世界は、地球の 生物文化的遺産の守り手たちによる全地球的コミュニティーが、集合的な生物文化的知恵と実践に深く根付く豊かで強じんな未来の種をまき、育てる世界でなければならない。数千年に及ぶ人類と環境の共進化の関係(人々は生存のために環境に依存しつつ、環境に適応し修正を加えてきた)は、豊かな生物文化的システムが持つ大いなる多様性を世界各地で生み出した。

    レジリエンス・アライアンスが管理するデータベースや、このテーマに関するマッフィ博士の近著『 Biocultural Diversity Conservation: A Global Sourcebook(生 物文化的多様性の保護:世界的史料集)』に記録されているように、今日、生物文化的システムの良い見本は世界中に数多く現存している。こうした事例の多くは、生物文化的システムを管理し続けている先住民族によるものだ。彼らは世界各地で地球(先住民族の多くにとっては母なる大地)との緊密な関係を育んでいるが、そのような関係は現代社会がほとんど忘れ去ってしまったものである。世界人口のわずか4パーセントを占める先住民族の人々は、地球の20パーセント以上を いまだに大切にし、地球上に残る生物多様性の80パーセント近くを直接的に維持している。そのために、先住民族は何世代にも渡って口承や慣習で受け継がれてきた民族の集合的知識を頼りにしている。

    『Los Derechos de la Pachamama(母なる大地の権利)』は、 InsightShareConversations with the Earthの支援を受けたペルーの5つの先住民族による共同プロジェクトとして制作された刺激的な映像作品だ。

    時間と空間を堪え忍んできた生物文化的システムの根本的な特徴はレジリエンスだ。レジリエンス研究で著名な科学者 ブライアン・ウォーカー博士はレジリエンスについて、システムが学習し、適応し、(異なる下位システムとの共進化を通して)自己組織化し、機能的整合性を失わずに変化を吸収する傾向と説明している。レジリエンスのあるシステムの特徴は、パターンや機能やプロセスにおける多様性である。養分循環、生態的ニッチ、異種間および同種内における変動性、言語間および同一言語内に見られる豊かさ、そして認識論から伝統的なガバナンス制度に至るまで、多様性は外的および内的な問題に対して幅広い対応を可能にしている。

    レジリエンスのあるシステムのもう1つの特徴はモジュール性だ。すなわち、比較的自律した「節点」(例えば地域社会、生態学的避難圏、田園ネットワーク)がシステムのあちこちに存在し、過剰なつながりを抑制するため、環境や社会に起こる衝撃が急速に伝達されるのを防ぐ力が強化される。生物文化的システムの様々な要素間には密接なフィードバック機構があるため、システムが逆戻りできない可能性のある新たな状況に陥るずっと前に、 閾値に近づいていること、つまりティッピング・ポイントを検出することが可能だ(サンゴや藻類が多いシステム、雨林やサバンナ、共有地や私有地、自給自足経済、市場ベース経済にいたるまで)。

    機能の重複性はシステム内の冗長性を反映している。それによって、システム内の一部の要素が変化を経験した際に、システム自体の継続性が強化される(例えば炭素隔離は生態系の異なる部分で行われる。また、伝統的な食生活には多様なタンパク源が含まれている。野生生物の採取は様々な組織的協定を通じて規制される)。信頼された社会的ネットワーク、賢明なリーダーシップ、世代間での知識の伝承、様々な情報を公平に意志決定に統合することといった形で、充実した社会資本は変化に対する多様な体系的対応を可能にする。

    生物文化的システムのレジリエンスの維持と強化は、社会および生態学的システムを維持し、「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズ」を満たすという 持続可能性に関する誰もが望む目標を達成する上で不可欠である。そのような取り組みには、「何を」「いつ」「どこで」ではなく、むしろ「どのように」という視点が重要である。なぜなら生物文化的多様性の価値が、人類と環境の相互作用や政策および意志決定過程のあらゆる側面で認識されなければならないからだ。保護地域の制定、野生生物の管理、文化保全、食料生産、あるいは貧困緩和といった分野のいずれにおいても、認識されなければならない。

    しかし、人類の「進歩」がたどる現在の方向性は、ストックホルム・レジリエンス・センターの研究者たちが 惑星的境界と表現するものの外側に私たちを追い出し、レジリエンスと生物文化的多様性に富んだ未来を遠ざけつつある。 地球だけでは賄いきれない欧米型の生活様式に明らかなように、絶対的な力を持つ支配的な開発パラダイムは、絶え間ない拡張、少ない資源の搾取、消費主義、共有地の私有化、世界の文化の均一化によって 支えられている。その結果、ランドスケープや生態系の内部やその関係における多様性が、地域、地帯、世界規模で失われている。例えば生物多様性は 過去に例を見ないスピードで失われている言語は消滅している。人間と環境の相互作用を何世代にも渡って規制してきた知識、知恵、慣習も姿を消しつつある。

    グローバリゼーションは私たちをさらに自然界から切り離し、フィードバック機構を分断している。さらに、私たちが苦境の緊急性を把握し、適切に対応する能力を損なっている。苦境とは、例えば気候変動だ。人類は 惑星的圧力となったため、世界は生態学的にも経済的にも社会的にも文化的にもますます「過剰につながり」、システムじゅうに 経済の脆弱性極端な天候食料不足などの好ましくない条件が急速に伝播しやすくなってしまった。

    生物文化的なレジリエンスの高い世界を維持する力を制限する要因は幾つか考えられる。

    • 地域の世界観に根付いた知恵、知識、慣習、価値観は、何千年もの進化を遂げて人々と自然の相互連鎖 性を認識するに至った。しかし土地に基づくコミュニティーや、母なる大地とそこに存在するすべてのものに価値を置く先住民族の中で急速に損なわれつつある。この状況を引き起こす要因は幾つか考えられるが、支配的な世界観と比較して誤った劣等感を植え付ける外的および内的な圧力が起因であることが多い。

    • 生物多様性や文化的多様性の相互依存的な特性とそれらに対する共通の脅威を、研究課題や保護手法や管理方法にいかに内在化するかに関して、科学界には 概念や方法の合意が欠如している。

    • 政策立案者や管理者のコミュニティーに、生物文化的多様性とレジリエンスを明白に統合するモデルやガイドラインやツールがあまりにも少ない。(テラリンガの Index of Linguistic Diversityをご覧ください)
    • 生物文化的多様性に基づく活動を戦略や行動に統合したいと考えるグループ間で、そういった活動を実施し維持するための人的および経済的資源が限られている。
    • ダレル・ポージー博士の言葉を借りれば、「生物学的多様性と文化的多様性の間には切り離せないつながり」があるという点について一般市民の理解が乏しい。従って、生物文化的システムのレジリエンスに関する個人的および 集合的な決定と行動の影響は、あまり理解されていない。

    マッフィ博士の著書や関連サイトに記録されているように、地域や先住民族の人々やコミュニティー、非営利団 体、国際的な協力機関はますます連携を深めて、生物文化的多様性の重要性を論証し称賛する一方で、支配的な還元主義的パラダイムに反論して困難を克服しようと懸命に活動している。幾つかの民間機関( クリステンセン基金セブンス・ジェネレーション基金スウィフト基金)や、非営利団体やイニシアティブ( ガイア財団, the Global Diversity Foundation, 先住民の気候変動アセスメント, Indigenous and Community Conserved Areas, Land is Life)、多国間機関によるプログラムやパートナーシップ( 世界重要農業遺産システム里山イニシアティブ里海イニシアティブ、国連教育科学文化機関(UNESCO)の 人間と生物圏計画、国連大学の 伝統的知識イニシアティブなど)は、持続可能性と生物多様性の保全に関する全体論的思考に明らかに注目している。こうした団体の多くは、先住民族との密接なパートナーシップや、先住民族による直接的な先導の下で計画され実施されるイニシアティブに取り組んでいる。

    こうした取り組みによって明らかになるのは、支配的な 経済開発パラダイムと いう濃霧から抜け出すための最善策とは、私たちの限られた人的および経済的資源を生物文化的多様性のレジリエンスの高い節点の維持と結合に集中的に活用す ることだ。その接点は地理的に位置づけられた地域社会や、先住民族の国家かもしれない。あるいは、生物文化的知恵と慣習の伝統を復興させ維持しようとする同じ志を持った個人の世界的ネットワークかもしれない。

    著名な文化史学者で生態神学者だった故 トマス・ベリー氏は私たちの時代を、過去6500万年続いた 新生代という進化のトンネルの暗い終末と表現した。私たち自身が招いた危機の黄昏を脱し、 エコ生代(相 乗的な関係を統合したつながりとして地球というコミュニティーに価値を置いて人類が行動する時代)の光へ向かうことができるか否かは、私たちが正しい道を選ぶ度胸と心意気を持てるかどうか次第だ。世界の危機に取り組む際に「心地よい」物語を重視する現在の傾向は、こうした決断に役立たない。「世界を変えることと、あなたの望む生活を営むこととは必ずしも相反しない」という宣言を、鼻先にぶらさげられたニンジンを追うがごとく信じることが、どれほど魅力的で 心地よいとしても、『 Worldchanging: A User’s guide for the 21st century (世界の変化:21世紀のユーザーガイド)』の著者たちが論じるように、そういった考え方は私たちが実現すべき変化の現実を反映していない。

    350.orgの創立者である ビル・マッキベン氏は次のように語ったそうだ。「私たちと化石燃料業界に哲学的な違いがあるのではありません。ただ、彼らのビジネスモデルが地球を破壊しているということです」

    しかしビジネスモデルとは、ある特定の世界観から誕生するものだ。たがの外れた経済成長と開発という現在の支配的なパラダイムは、人間と自然の相互依存性を完全に無視した、生物文化的レジリエンスを支える状況を生んだり育んだりすることに反する近視眼的世界観に深く根付いている。

    従って、地球が直面している現代の社会問題や生態学的問題を解決する取り組みは、生物文化的多様性やレジリエンス思考といった全体論的世界観に深く根付いていなければならない。 先住民族環境ネットワークの事務局長を務める トム・ゴールドトゥース氏の言葉を借りれば、私たちの世界的取り組みは「システムの変更」、すなわちパラダイム・シフトに関するものではなくてはならない。敬意と相互依存と畏怖を持って地球との関係を築く先住民族の伝統のような、相互作用的な世界観から学ぶことを目指すのだ。

    そのようなシステムの変更を人類が達成できるかどうか、またエコ生代への転換をうまく成し遂げられるかどうかは、究極的には、生物文化的多様性に価値を置く全体論的世界観を信じる勇気を、私たちや地球の幸福のために、私たちが個人的に、また集合的に持てるかどうかにかかっている。

    そのような転換は、幾つかの主要な要素が揃わなければ実現しない。私たちはどんな代償を払ってでも変化を避けようとするのではなく、人生の不可分な一部として 変化を受け入れなければならない 。私たちは軌道修正の範囲や規模について、また自分に何ができるかについて、 現実的にならなくてはならない 。さらに、コミュニティーという概念を拡大しなければならない。地理的あるいは遺伝的な近接性によって組織される集団だけでなく、生物文化的多様性の価値を自然の「脈動する心臓」として認識する、同じ志を持つ個人や団体も包括する 広範囲な世界的コミュニティーとして捉え直す 。私たちは活動を通じてだけではなく、より重要な点だが 思考と行動を変えることによって 、生物学的にも文化的にも豊かな世界を目指さなければならない。私たち自身の特性を総合的に変革しなければ、今後何世代にも渡って自然が生物文化的なレジリエンスを保つことは希望すら持てないのだ。

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    本稿の写真と映像は、 Conversations with the Earthのご厚意で掲載されました。CWEの活動は TwitterFacebookでご覧いただけます。

    翻訳:髙﨑文子