国連事務総長の訪日について、学長が国連大学スタッフに概要報告

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  • 2011年8月15日     東京

    2011年8月15日月曜日、コンラッド・オスターヴァルダー国連大学学長は、前週に行われた潘基文(パン・ギムン)国連事務総長による訪日について、東京の国連大学スタッフに概要報告を行うため会合を開きました。国連事務次長、また日本に駐在する最上位の国連職員として、オスターヴァルダー学長は、国連代表団に参加し事務総長の視察に同行しました。

    8月7日から9日にかけて行われた国連事務総長の訪日は、日本の外務省の招待により実現しました。潘氏は菅直人首相を含む日本の政府関係者と話し合いを行うとともに、「三重災害」(地震、津波、原発事故)に見舞われた福島県の被災地を訪問しました。

    長引く影響

    事務総長は、福島南高校の生徒たちや、避難所となっているあづま総合体育館で暮らす被災家族と面会しました。また、福島第一原子力発電所から40キロメートル北に位置し、津波の被害を受けた相馬市の原釜海岸も視察しました。

    3月11日の大災害から約5カ月が過ぎた現在、死者・行方不明者は2万3000人を超え、さらに8万人以上がいまだ仮設住宅で暮らしています。

    事務総長は国際社会が一致団結して力になるというメッセージを伝え、生徒たちや避難所で暮らす人々に「国連と世界は皆さんを応援します」と確約しました。

    国連大学スタッフへの概要報告の中で、オスターヴァルダー学長は、何百人もの人々が暮らす避難所を訪問した際にとくに心を動かされたと語りました。そこに暮らす被災者の多くは、家ばかりでなく仕事も失った人々、あるいは家族や友達をなくした人々です。いまだに段ボールで仕切った小さなスペースで暮らし、段ボールで作ったベッドの上にマットレスを敷いて寝ており、生活を快適にする設備や個人の所有物はほとんどありません。学長は事務総長同様、「この大災害を乗り越えてきた方々の勇気と忍耐に対する感嘆の念」を表しました。

    原発問題

    学長によると、福島県の一部の自治体関係者は、復興活動を進めるために最も必要なものは何かという問いに対し、彼らの目標はできるだけ多くの県民をできるだけ早期に原発周辺の立ち入り禁止区域にある自宅に戻れるようにすることだと答えました。しかし、これを安全に実現するためには、科学的で事実に基づいた指針(例えば、小学生の子どもの健康にとって安全なレベルの長期的な日常の放射線被ばく量はどの程度か、など)が必要となるのですが、そのような指針は今のところ存在しません。

    また学長によると、訪問先の生徒から「国連は原子力のない世界を推進するために措置を講じてくれるのか」という質問があり、事務総長は原子力問題の是非について見解を示すのは国連にとって適切な役割ではないということを強調しました。潘氏は、「原子力に対する姿勢を決めるのはすべての国の主権的権利」であり、したがってこれは国家政府と地域のコンセンサスによって解決されるべき問題であると述べました。

    ただし事務総長は、国連が原子力の安全性と核セキュリティの問題を非常に深刻に受け止めていることを強調しました。潘氏は、福島で起きた災害のもたらす影響について報告書を作成するよう国連システム内の各機関の専門家にすでに依頼したこと、9月には同報告書の内容と原子力の安全性と核セキュリティにおける国際協力について話し合うべく、世界中の当局関係者によるハイレベル協議をニューヨークで開催することに言及しました。

    潘氏は、この協議の「成功のために日本政府が積極的かつ建設的に貢献する」ことについて強い期待を表明しました。またこれと同じ文脈で事務総長は、来年のハイレベル会合の開催と、2015年の第3回国連防災世界会議の開催にむけての日本政府のイニシアティブを歓迎するとも述べました。

    公式会議

    学長は概要報告の中で、国連代表団と日本の政府関係者との会合から判断して、日本は3月11日の大惨事の後も、困窮している世界の国々の開発と安全保障のための支援提供に力を注いでいく立場を変えてはいないことは明らかであると述べました。

    菅首相との会談後の声明で、潘基文事務総長は、『アフリカの角』地域の人々への非常に手厚い支援について、日本政府に対し心からの感謝を表明し、世界各地、とくにアフリカの平和と安全の構築にむけて、国連と日本がどのように取り組むことができるかについても話し合った、と報告しました。