訃報:国連大学初代学長ジェイムス・ヘスター氏

News
  • 2015年1月13日     東京

    James McNaughton Hester

    Photo: UNU Archive

    国連大学は、国連大学初代学長(1975~1980年)ジェイムス・マクノートン・ヘスター博士のご逝去を報告するとともに謹んで哀悼の意を表します。へスター博士は、2014年12月31日にニュージャージー州プリンストンにあるご自宅で逝去されました。90歳でした。

    1974年11月22日、ヘスター博士が国連大学初代学長に任命されることが、国連事務総長により発表されました。へスター博士は国連大学学長としての5年間の任期中に、ご自身の言葉によるところの「国連大学の考案、資金調達、実践、普及、正当化を同時に進める」という課題に取り組みました。後にヘスター博士はこの経験を「壮大な冒険」と表現しました。

    ヘスター博士は、国連大学学長に任命される前、ニューヨーク大学(NYU)の学長を14年間務めました。NYUでは、同大学の強化のために、また高等教育の中心的スポークスマンとして果たした役割が国際的に評価されました。

    1960年に、NYUの人文社会学部上級学部長および大学院人文社会研究科長に就任しました。博士は、都市の知的・文化的・職業的・経済的発展を担う機関としての都市大学という概念に忠実に従い、「世界は、自分たちの文化遺産についての正しい認識と都市文明が抱える課題に関する知識とを兼ね備えた人材を求めている」と主張しました。

    へスター博士は、1924年4月19日、ペンシルベニア州のチェスターで生まれました。少年時代は、米国海軍の従軍牧師だった父が配属された各地の駐屯地(ハワイやサモア諸島など)で過ごしました。1942年に、カリフォルニア州のロングビーチにあるウッドロー・ウィルソン高等学校を卒業しました。

    その後、プリンストン大学に進学して人文科学優等賞を獲得し、ファイ・ベータ・カッパ(優等学生友愛会)に選出されました。また、1945年には文学士号を取得しました。米国海兵隊の幹部候補生プログラムに入ってからは、日本語士官となるための訓練を受けた後、福岡軍政部の民間情報教育担当将校として日本に赴任しました。

    1947年、オックスフォード大学ペンブルック・カレッジにローズ奨学生として入学し、哲学、政治学、経済学の学士号を取得しました。1950年に米国に帰国する際には、ローズトラスト米国書記の補佐官となりました。

    1951年、海兵隊の現役軍務に再び召集され、大隊副官兼教官としてバージニア州のクワンティコに17カ月間赴任しました。除隊後は、ワシントンD.C.の国立公文書館で数カ月にわたり博士論文のための研究を行いました。そして1955年にオックスフォード大学の博士号を取得しました。

    経営コンサルティングと消費者調査の分野で実務経験を積んだ後、1957年にロングアイランド大学ブルックリンセンター(ニューヨーク)のプロボスト(教務局長)として学術界に復帰し、その後、ロングアイランド大学の副学長に就任しました。1960年にNYUの人文社会学部長および大学院人文社会研究科長となり、1962年には37歳で同大学の学長に就任しました。

    1969年には、米国高等教育関連の優先課題に関する大統領タスクフォースの議長を務めました。また、ニューヨーク州大学協会(Association of Colleges and Universities of the State of New York)の執行委員会議長およびメンバー、ならびに同協会の独立カレッジ委員会(Commission on Independent Colleges)の評議会議長およびメンバーも務めました。

    ほかにも、米国教育協議会(American Council on Education)、ニューヨーク州高等教育理事諮問委員会(New York State Regents Advisory Council on Higher Education)、およびニューヨーク市中等後教育地域調整委員会(Regional Co-ordinating Council for Post Secondary Education in New York City)の理事を務めました。また、国際大学協会理事会の米国メンバー、および米国大学協会執行委員会のメンバーでもありました。

    国連大学学長の職を退いてからは、ニューヨーク植物園の理事長(1980~1989年)と、ニューヨークのハリー・フランク・グッゲンハイム財団の理事長(1989~2004年)を務めました。晩年は、プロの肖像画家としてたびたび展覧会を開きました。

    ヘスター博士は、1977年にNYUから授与されたLHDを含め、多くの一流大学から名誉学位を贈られているほか、フランスのレジオンドヌール勲章シュヴァリエを受章しています。1981年には、天皇陛下から勲一等瑞宝章を授与されました。

    ご遺族は、奥様、ご令嬢のジャネットさん、マーガレットさん、マーサさん、7人のご令孫、そしてご令兄(ご令弟)とご令姉(ご令妹)です。

    ヘスター博士を偲ぶ追悼寄付金の宛先は、プリンストン大学(Princeton, New Jersey)、または南部貧困法律センター(400 Washington Avenue, Montgomery, Alabama 36104)です。