2014年8月14日 東京
国連大学は、1976年から1988年まで国連大学副学長を務めたアレキサンダー・アダム・クワポン教授のご逝去を報告するとともに謹んで哀悼の意を表します。クワポン博士は、2014年8月9日にガーナのアクラで逝去されました。87歳でした。
クワポン博士は、たぐいまれな経歴の持ち主でした。ガーナのアチモタ・カレッジで学んだ後、奨学金を受けてケンブリッジ大学で古典の研究を続け、1951年に第一級優等学位で卒業しました。その後、ガーナ大学の講師を経て正教授となり、ギリシャ語、ラテン語、古代史を教えました。やがて、ガーナ大学でいくつかの上級職に任命され、1966年には同大学初のガーナ人副総長に就任しました。
それから10年後の1976年に東京の国連大学に移り、組織計画・資源開発担当の副学長に就任しました。国連大学では、ジェイムス・ヘスター初代学長との緊密な協力のもと、大学としてまた国連システムの一部としての国連大学に必要な基盤の構築と財源の確保に尽力しました。
2代目のスジャトモコ学長に代わってからも、最初の国連大学研究所である国連大学世界開発経済研究所(UNU-WIDER)と、アフリカに設立された最初の研究所で、ガーナのアクラに拠点を置く国連大学アフリカ自然資源研究所(UNU-INRA)の設立に貢献しました。
国連大学を離れてからは、カナダのダルハウジー大学で国際開発学の教授として活躍した後、コモンウェルス・オブ・ラーニング(Commonwealth of Learning)でアフリカプログラムの責任者を務めました。
クワポン博士はその全経歴を通じてさまざまな理事会や評議会のメンバーを務め、退職時には、大統領と政府の諮問機関であるガーナ国家評議会の議長に任命されました。
クワポン博士は生前、自身の功績を振り返るインタビューの中で、「良いリーダーとなるために必要な最低限の資質は知的能力ではなく、人々とともに働くことのできる能力であり、自らの限界を理解し自らに与えられた宿題をしっかりとやり遂げる謙虚さである」と語っていました。